
Lv100 或る夏の話
――ここはなんだか、ずっと夏のままだな。
光にまで鮮やかな色が付いているかのように見える日照りの下、トライヨラマーケットの人混みに流されるままに歩きながら、ふとそんなことを思った。
トラル大陸に出入りするようになってから随分と経つが、この街において季節の遷り変わりを感じたことは今のところない。別大陸ということもあろう、第七霊災の結果として年中通して寒冷気候となったクルザスともまた違い、純粋に地勢的に「そのようになっている」土地は珍しい。知る中ではサベネア島が最も近しいだろうが、かの地ともまた異なる空の色、空気の匂い。初めてこの土地に降り立った時、それらの違いをひとつひとつ比べることに心を踊らせていたのは、いまなお色鮮やかな記憶だ。
ひとつの思いつきは、関連する様々なトピックを連鎖的に惹起する。歩きながらもそれに身を任せて思索にふけりかけた精神を、不思議と人混みの中でもよく通る声が呼び起こした。
「……アルファさん?」
わたしの名を敬称付きで呼ぶ人は――自分で言うのも多少どうかと思うが――功績と比して考えれば相当に少ない。ましてトライヨラの地においては、それを数えるのは両手の指で事足りるくらいだ。だから聞こえてきた声の方へ踵を返し、人の流れを遮ってしまわないように注意しつつ、声の主のもとへと歩み寄る。
「こんにちは、クルルさん。ここで会うのは結構珍しいね?」
バルデシオン委員会、代表代行――もとい、現代表。
クルル・マイア・バルデシオンその人だった。
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フォルアード・キャビンズ。
トライヨラの遠浅の海の上に張り出すように作られた宿泊施設であり、その自然の美を感じるのにうってつけの造りをしている、贅を尽くしたわけでもないのにウルダハの超高級ホテルとも張り合える稀有なリゾートである。
せっかく出会ったのだから少しお話しましょうよ、というクルルさんの誘いに二つ返事で乗り、チーちゃんのタコスをテイクアウトして、いま逗留しているという部屋に案内された。それほど前の話でもないはずなのだが、調度品の数々を見ると継承戦の日々を思い出して懐かしい気分になってしまう。
「もう継承戦の協力者ってわけじゃないんだし、もっと質素な宿舎とかでいいって言ったんだけどね。ラマチがどうしてもって」
彼女はそう言って苦笑する。
現トライヨラ連王、武王ウクラマトと理王コーナ肝入りのプロジェクトとして、オールド・シャーレアンの研究者と協働してのマムークにおける実験農場の整備がある。ゆくゆくはあの地の生活を一変させることを期待してのものだが、一朝一夕に結果が出るわけもなく、またそれまで生きてきた環境に人の手を入れるという性質上、現地住民との更に綿密な意思のすり合わせ、方向性の共有が当面の課題となっている。
ウクラマトと共に自らの足で現地を歩き、その一方でシャーレアンの研究者の気質にも通じ、必要とされる人材に打診や根回しもできる彼女はうってつけらしく、エレンヴィル共々連王から正式に依頼を請けて調整に奔走しているらしい。コーナも一応シャーレアンに縁はあるものの、あくまで留学生という立場でしかなかった彼と、現地でひとかどの組織を運営している彼女とでは人脈という点で超えようのない壁がある。
わたしは継承戦の際になりゆきを見守るに留まっていたので、実現に向けて動いている話を聞くのはとても喜ばしかったし、様々なものを内へ内へと抱え込みがちだったウクラマトが適切に他人へ仕事を振っている様子に感慨もあった。
そんな近況を一通り聞き、こちらからもソリューション・ナインの、許容しがたい部分もありつつ魅せ方の勉強にもなる戦闘ショーの様子や、これからの予定の話をする――といっても、こちらは自由が身上の冒険者、語れるほどの「今後」はそれほど多くない。早々に人に明かしても問題ない話の種は尽き、ではそろそろおしまいにしようか、という雰囲気がどちらからともなく出始めた頃、あとひとつだけ、と彼女が切り出した。
「アルファさんは、その――エジカと、男女のお付き合いをしているのかしら?」
思わぬ角度から、想定もしていなかった爆弾が投げ込まれた。
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「えーっと……それに答える前に、どうしていきなりそういう話が出てきたのかだけ、聞いてもいいかな」
突然のことで混乱する自分を立て直す時間が欲しかったというのはあるが、単純に気になるところでもあった。クルルさんはあまり人の噂話に自分から首を突っ込んでいくようなタイプでもなく、であれば話の出処はどこなのかというのは確認しておきたい。
「この間ね、久々にバル島……エウレカへ直接行ったのよ。おじいちゃんについての顛末だし、エジカにはこの旅のことをきちんと話しておくべきだと思ったから」
流石というべきか、義理堅い話だった。
「そうしたら彼ってば、何も言い返しもせず黙って聞いて『それで、満足いく成果は得られたのか』って。得られたって答えたら『そうか、よかったな』って、いつもの嫌味な感じでもなく普通に言われて――あのエジカがよ!?」
珍しく随分とヒートアップしている。初対面の時や、超える力で垣間見た過去の様子から察せられるところはあったが、かつてのエジカの物言いはどうやらここまで言わせるほどのものだったらしい。
言葉を返せないまま面食らっているわたしを見て、ようやく自分の様子に思い至ったらしい。息を整えて、話は続く。
「――こほん。とにかく、それで妙だと思って……最初は人に指示を出す立場に就いて落ち着いたのかと思っていたけれど、あそこでエジカと一緒に仕事をしてる人たちに話を聞いて回ったら、アルファさんの名前が出てきたというわけ。島が多少落ち着いた後も定期的に訪ねてきて、彼と仲良くしているってね」
なるほどそういう理屈だったか。別にこそこそと隠れていたわけでも、口止めをしていたわけでもなかったので経緯を聞けば至極真っ当な話だった。あの島には顔を合わせれば談笑するような間柄の相手も多いし、赴く度にスタッフに差し入れを配って回ったりもしていたので、当然覚えられてもいるだろう。
ともあれ、話を聞くうちに多少は落ち着いた。
「そうだよねぇ、クルルさんには言っておくのが筋、ってものだよね」
「じ、じゃあ、」
「いや、付き合ってはいないんだけどね?」
無意識にかこちらへ身を乗り出していた彼女の肩から露骨に力が抜ける。なるほど肩透かしという言葉を紡いだ先人は観察力に優れているな、と、まるで関係のないことを思いながら、続ける。
宣誓ともいえる言葉を。
「でも、そうなればいいな、そうしたいな、とは思ってるよ。勝算もあるしね」
「おお……」
いつものように飄々としている風でも、真面目に物事に取り組んでいる風でも、疲れている風でもない、初めて見る顔だった。
「その、なんというか……」
おずおずと、しかし興味津々にも見える不思議な態度で、彼女は言う。
「エジカとの付き合いが、まあ、結構長い身から言わせてもらうと……あまりお勧めはできない相手だと思っちゃうのよね。どこが良かったのか、聞かせてもらってもいいかしら?」
慎重に言葉を選んでいた割に飛び出してきたのはあんまりな物言いで、思わず苦笑が漏れてしまった。
「クルルさん、だいたい誰相手でも穏やかなのにエジカにだけ当たり強いよね……」
「あっ……ええと、アルファさんに思うところがあるというわけではないの。気を悪くしたならごめんなさい」
「大丈夫大丈夫、そこはわかってる」
言い方を間違えたかと少し慌てる彼女を宥めながら思う。
ただ少し、面白かっただけだ。わたしの知らない二人の関係性、それが必ずしもキラキラと輝くようなものでなかったとしても――むしろ険悪とすら呼べるものであっても――それはそれでエジカとクルルさんの間にしか生まれなかったであろう、唯一無二のものだ。そこに横たわった過去に思いを馳せるのも悪くない、そう感じるわたしがいる。
「どこが、か……ご期待に添えなくて悪いけど、それには明確に答えられないんだよね」
「そうなの?」
「うん。最初はね、そもそもそういう気持ちでもなかった」
つい、と眼前の彼女から視線を逸らす。その先では大きく開いた窓から鮮やかな海が覗いていた。それを見るともなしに、意識だけが過去に飛ぶ。
「クルルさんは覚えてるかな、あの時……ヒュダトス帯でエウレカを完全消滅させようとしたエジカのことを『自己犠牲に酔うような男』なんて強い言葉で止めたよね」
「……ええ、言ったわね」
誰もいない本部塔、遺された手記。並行線の上でどこまでも対立する二人から寄せられる視線。わたしの手に委ねられた、人の命運。
その時に思い出したのは、何人もの顔。
わたしが今こうして、穏やかに話ができている未来を、その身をもって切り拓いてくれた人たち。
「当然、みんな死にたくなんてない――それは前提として、それでも。自分の命はきっとこのためにあった、って確信する時っていうのが、きっとあるんだと思う」
勝手な話だ、本当に。残される側はたまったものではない。
彼女が普段の様子に似つかわしくない強すぎる言葉で止めようとしたのも、きっと最初からそれを感じ取っていたからだろう。
「あの時のエジカは、間違いなくそう思っていたはず――そしてわたしは、わたしのエゴで、その覚悟を踏みにじった」
「そんなことは!」
ばん、と机に手を突いて立ち上がりかけたクルルさんを身振りで制止して、続ける。
「あるよ。あるんだよ、クルルさん」
大切なことだ。わたしは自らの選択でエジカの命を救って、心を殺した。そうであると他ならぬわたしが感じている。それを前提にしなければ、ここから先の話は進まないのだから。
「わたしは、エジカが今生きていることがすごく嬉しい。あの時エジカのやりたいようにやらせてあげた方がよかったとも、口が裂けても言わない。でも、あの時確かに考えちゃったんだよ。残酷なことをしてしまった、って」
雪のちらつく崖下で交わした短い会話を思い出す。あれはきっと、わたしたちがほぼ他人であったあの時にしか漏れ出なかった、エジカの弱さと強さだった。
「エジカは……付き合いの浅いわたしの目から見ても、わたしたちみたいな特別な異能にコンプレックスを抱えてて。それでも努力して、努力して……その果てに見つけた、エジカにしかできないこと。それが自分の身を犠牲にした、創神エウレカの根絶」
その結論を出すまでに、いかなる葛藤があったのか。とても訊けないし、いまさら訊く気もない。ただ、並々ならぬものであることだけはわかる。
「それをわたしは、エジカから取り上げた。色々あって最終的には丸く収まったし、わたしやクルルさんだけじゃ絶対に成し遂げられなかった、エジカあってこその結末だったけど……それでも、あの時のエジカにとっては、酷い話だったと思う」
たしかに感謝の言葉を掛けられているはずなのに、腹の底から凍りつくような猛烈な罪悪感を感じたのは、後にも先にもあの時だけだ。
「だからね、その時から、エジカを生かした責任っていうのかな。『生きててよかった、あの時死ななくてよかった』って絶対思わせるぞ、っていうのが目標になったんだ。なんだかんだで強さを備えてる人だから、余計なお世話かもしれなかったけど」
結局、わたしが罪悪感と居心地の悪さから逃れたかったのを無理矢理に正当化しただけだと言われてしまえば反論の余地もない。じゃあ元気でね、またいつか会いましょうだなんて言って、忙しさを言い訳にフェードアウトしてしまうのもひとつの選択だったけれど、そうはしなかった。
「まあ、そう思ったところで具体的にどうすればいいかなんてわからなかったから、その後は……とにかく鬱陶しいぐらい構い倒した」
「構い倒した」
ぽかん、とした顔で鸚鵡返し。確かに、少々唐突な話かもしれない。
「一番多かったのは人手不足なバル島のお手伝いを言い訳にしてだけど……事あるごとに差し入れだって美味しい物を持っていってみたり、旅先で面白いことがあったらそれを話しにいってみたりとかね。ほんの些細なことだけど、案外世界って悪くないよっていうのと、あなたのことを忘れてないよっていうのを、わたしが体現してやろうというか……今になって思えばもっとスマートなやり方があったような気もするな。ちょっと恥ずかしいね」
「ううん、素敵だと思うわ。でもそれは……嫌がりそうね、エジカは」
「実際、最初は露骨に嫌な顔もされたかな。でもほら、人って好意を向けてくる相手を嫌い続けるのは大変って言うし。そのうち諦められて、普通にお茶する仲になって、それで今って感じ」
「そうなのね……気長な話ね」
「そうだね。で、話を戻して――そうするって決めた時から、わたしが見て、聞いて、素敵だなって感じたものがあったら、いつも自然とエジカのことを考えるようになった。綺麗な景色を見れば見せてあげたいなって思うし、美味しいものを食べたらあの人ならどう反応するかなって想像する。心が震える音楽を聴いたらどうにかそれをバル島で再現する方法がないか頭を捻らせて、魔法大学で面白そうな新説が発表された時はどんな見解を見せてくれるのかわくわくした」
不思議な体験だった。
驚くことに、誰かのことを思いながら物事に向き合った時、一人でそうするよりもずっとすばらしく、世界は色鮮やかに見えたのだ。
だからこそ。
「それが続いたある時にね、これって好きってことじゃないのかなって思ったんだ」
本当にそうなのかは、わからない。知らない感情にわかりやすい名前を付けて、理解したつもりになることで落ち着かない心のバランスを取ろうとしているだけなのかもしれない。
「実はね。わたしは、人を好きになるっていうのがどういうことなのか、未だによくわかってないんだ。もっと鮮烈なエピソードがあった時に、スイッチが切り替わるみたいにそういう状態になるのかなって漠然と思ってたけど、どうやらそうじゃないみたい」
男女の関係にある人たちも、誰かが誰かに懸想しているところも、これまで生きてきた中で数多く見てきた。お互いに信頼できて、戦いの中で背中を預けられる異性だって何人もいる。けれど、こと自分の心の話になってしまうと、出てくる答えはまるで御伽噺のようにあいまいだ。
「というわけで、エジカのどこが良かったのかって質問にはぴたっと答えられないんだ。どうだろ、お気に召したかな?」
内心を詳らかに話しているうちにどんどん気恥ずかしくなってきて、最後は少しおどけて話を締める。
彼女は親しい相手には軽い態度を見せることもあるが、こちらが真剣である限りはそれを汲んでくれる人だ。わたしたちがエジカについて共有しているエピソード――それは必然、あの島における事件のことになる――について語る時、どこか心の底の方に淀んでいる重いものからは逃れられない。それでも今は前向きに話せるようになったのだから、あまり暗い気持ちになってほしくはなかった。
「……何か、私にできることはあるかしら?」
「見守っていて欲しいかな。何か進展があったら、きっと一番に報告するから」
「そう……わかったわ。頑張ってね」
二人して、少し不器用に、まるで初対面のような微笑みを交わす。
この由来不明の気まずさも、きっと笑って振り返ることができる日が来るのだろう。その時には是非とも、エジカが隣にいるといいなと思った。
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「ところでさ」
「……? 何か言い忘れでもあったかしら?」
「クルルさんの方は無いの? そういう浮いた話」
「ええっ!? ないない、無いわよ!」
「おかしいな……クルルさんなら引く手数多なはずなのに……」
「ちょっ……もう、アルファさんってば!」
女二人。少女と呼ぶにはそろそろ厳しい年齢かもしれないが、今日だけはそんなふうに過ごすのも悪くない。
再び見遣った窓の外、夏の日はまだ長い。
《了》